ダイエット
Take hold of a lonely heart (14)
「よぉっ、旦那。遅かったじゃねぇか。女の所で捕まってたってか?」
社長室のドアを開けた途端に掛けられた言葉に直江はムッとしながら声の主を見た。
長めの髪を後ろで束ね、薄いフレームの眼鏡をかけた男は直江を気にする様子もなく、応接用のソファにどっかと腰を下ろして煙草を吸って直江を見ている。
「お前には関係ないだろう。それよりこの後の準備は出来ているのか、千秋」
直江は問い掛けを無視し、千秋の後ろを通りデスクのある奥の部屋に入っていった。
「あ、旦那!おはようございます・・・ってあれ?猫はどうしたんです?」
入ってきた直江に気付いた一蔵は、それまで見ていたパソコンの画面から目を離して立ち上がりながら書類鞄だけの直江を見て驚いたように言った。
「あぁ、綾子の所で預かってもらっている。あそこなら心配ないだろう」
「なんだ、儂ゃぁてっきり置いてきたのかと思ったぜよ」
「まだ一人で何も出来ないんだ。いくら俺でもそんな可哀想な事はしない」
直江は一蔵にコートを手渡しデスクに向かった。
「おぉ?女連れで来たのか?旦那にしちゃあ珍しいなぁ」
2人の会話を途中から聞いていた千秋は、ニヤニヤしながら直江のデスクの端に腰掛けた。
「お前には関係ないと言っているだろう・・・。で?書類は?」
すでに仕事モードに入っている直江に何を聞いても無駄だと判断した千秋は、わざとらしく大きな溜息を一つついてデスクの上を指差した。
「どうせデータ処理で徹夜だったんだろ?会議用の書類も全部俺様が作っておいてやったぜ。感謝しな」
直江はその書類に素早く目を通していく。
「・・・、まぁいいだろう。すぐに必要枚数分コピーしてくれ」
「へいへい、判りやした」
「あ、コピーなら儂がやりますきに」
千秋が直江から書類を受け取ると同時に一蔵がコーヒーを持ってきた。デスクの上に一つ置いて千秋にも手渡す。
「おっ!んじゃ、よろしく!」
コーヒーの代わりに書類をトレイの上に置き、千秋は直江のデスクの前にある応接セットのソファに座り、銜えていた煙草を消した。
「千秋。手が空いているのなら打ち合わせをするぞ」
パソコンと書類を淡々とこなしながら言う直江に、千秋は呆れたような顔をした。
「直江・・・。少しは休まないとぶっ潰れるぞ」
「心配ない。その為に明日は休みにしてあるんだ。さ、始めるぞ」
「・・・・・。へいへい」
千秋はソファから立ち上がり、直江との打ち合わせを始めた。
(・・・。まだ終んねぇのかなぁ、直江・・・)
綾子の所で直江を待っている高耶は、外を行き交う人をぼんやりと眺めていた。
普通の飲食店ならペットお断りが当然だが、この店の1階はペットOKにしている。
以前は違ったのだがこの店のコーヒーが評判で、ペット連れの客が表に繋いだりしていたがあまりに多いと通行人に迷惑がかかるのでどうしたものかと綾子が直江に相談した所、最近流行っているペット同伴OKにしたらどうかと言う案が出たのだ。
勿論、客の中にはペットが苦手だったりアレルギーの客もいる。
だから2階も買い取り、改装して一つの店にした。
出入り口を別にして、嫌いな客にペットが近寄らないように2階に直で行けるようにした。大人しいペットや、仲のよいものばかりではないので、専用のゲージ(囲い)もいくつか用意し、みんなが快適に過ごせるようにした所、それが好評で益々繁盛するようになったのだ。
「どうしたの?たかや。元気ないじゃない」
「・・・ミャ〜(・・・別に)」
カウンターの端で丸まっている高耶に綾子が声を掛けたが、高耶は外を見たままだ。
「きっと会議が長引いてんのよ。そのうち来るだろうからそれまでここで遊んでなさい・・・あ、いらっしゃいませ ♪」
新たに来た客の接待に行った綾子を目の端に捉えながら、高耶は考え込んでいた。
(ここの客なのかな・・・俺の相手って・・・。他で探すのは無理そうだしな。でもどうやって俺が人間だって伝えるんだよ・・・、あぁ〜!もうっ!わっかんねぇよ!)
外が暗くなってもう大分時間か経つ。
壁に掛かった仕掛時計の針はもう7時を過ぎていた。
(すぐって言ってたくせに・・・って言ったって仕方ねぇか・・・)
最初は綾子や店の客、玩具などで遊んではいたが、知らない人間に囲まれているとやはり不安になる。早く迎えに来て欲しくて仕方ない。
そんな気分では遊んでいても面白くないので高耶は3時間以上もカウンターの端で置物のようにじっと外を眺めていた。
不貞腐れたように丸まっていると聞き覚えのある足音がしたので、高耶は耳をぴるぴるっと震わせ窓の外を見ると急ぎ足でこちらに歩いてくる直江が見えた。
(あっ!やっと来た!)
高耶は嬉しくて身を起こそうとしたが、ずっと待っていたと思われるのも癪だったのでわざと気付かないフリをしてそのまま丸まった。
「あら、直江。遅かったわね」
「あぁ、ちょっとな・・・。お待たせしてしまいましたね、高耶さん」
綾子への返事もそこそこに、直江はカウンターで丸まっている高耶に声をかけた。しかし高耶は無視を決め込んでいる。
「遅くなってしまって申し訳ありません。ちょっと打ち合わせが長引いてしまって・・・」
直江は高耶と目線を合わせるように屈みこんで話し出した。
「知らない人ばかりで辛かったでしょう。本当にすみませんでした」
猫相手に敬語で弁解する直江の姿は端から見れば誰が見ても異様である。思わず綾子が割って入った。
「ちょっと直江。あんた、いつもそうなの?」
「・・・何がだ」
「だって、何で猫相手に敬語使ってんのよ。女相手じゃあるまいし」
「そんな事どうだっていいだろう」
あっさりと返された綾子は大きな溜息を一つついた。
「あんたねぇ・・・。まぁいいわ。たかやくん、ご機嫌斜めでしょ。あんたがあんまりにも遅いから怒っちゃって3時間もそこでずっと不貞腐れてたんだからね!」
(おい、姉さん!バラすなよ・・・カッコわりぃだろ・・・)
綾子に待っていた事を暴露されてしまった高耶は、こんな事なら直江が来た時から素直になっていればよかったと後悔したが今更どうする事も出来ない。
高耶は様子を伺うようにそっと眼を開け直江を見た。
目の前には無言で自分を見つめる直江の顔がある。高耶は恥ずかしくなってしまい、また目を閉じた。
「・・・・・高耶さん」
少し間をおいて直江が声を掛けてきた。
高耶はどうしようかと悩んだが、再びゆっくりと目を開け直江を見た。
怒る風でもなく嘲笑する風でもなく、直江は優しい眼差しで高耶を見ていたので、高耶はその眼差しに呪縛されたように直江を見詰め返した。
「寂しい思いをさせてしまいましたね。さぁ・・・、高耶さん」
直江は微笑しながら高耶に手を差し伸べる。今までならきっとこの差し伸べられた手を振り払っていただろう。だが、寂しいと思っていた事が通じていたという思いが高耶の体を素直に動かした。
高耶は立ち上がって大きく伸びをしてから直江に歩み寄り、その手に擦り寄った。
「ミィ〜(おかえり、直江)」
「お待たせしましたね、高耶さん」
直江は高耶を抱きかかえ、優しく撫でた。そのやり取りを見ていた綾子は砂を吐きそうな気分だった。
「あんたねぇ・・・。聞いてるだけだったら女とのやり取りにしか聞こえないわよ!ったくもう!コーヒー、飲んでくんでしょ?!」
「あぁ。いつものを頼む」
「はいはい」
呆れ返っている綾子を他所に直江はゴロゴロと喉を鳴らす高耶を撫でながら椅子に座った。
「おっ!直江、やっぱまだいたか・・・って、あれ?女はどうした?」
直江がコーヒーを飲んで寛いでいると、賑やかに話ながら千秋が入ってきた。
どんな女か顔を拝みに来たのだが、直江はカウンターに一人で座っている。
店内をきょろきょろ見回す千秋に綾子は笑いながら、
「あぁ。直江のいい子ならそこにいるわよ」
と、直江の手元を指差しながら言った。
「はぁ?どこにいんだよ」
「ほら、そこ!」
「・・・、綾子ぉ。一体どこなんだよ?!」
高耶に気付かない千秋に、綾子は直江の前まで行き手を指差した。
「こ〜こっ!」
「・・・・・。はぁ?!」
直江の手を覗き込むと、じと〜っとした目で見上げる子猫がいる。千秋は一瞬目を疑った。
「・・・直江」
「何だ?」
「お前のいい子・・・って、・・・猫、なのか?」
恐る恐る聞いてくる千秋に、直江は思わず額を押さえた。
「千秋・・・。大体誰が女と言った?俺は何も言ってないだろう」
「って事は・・・。お前、まさかコイツを飼ってるのか?!」
「あぁ、昨晩からだがな」
平然と言う直江に、千秋は思わず眩暈がした。
「お前が猫を飼うなんて・・・っ!きっと明日は気温が35度になって雪降ってそれで・・・」
頭を抱えながら喚き散らす千秋を見て、直江は溜息をついた。
「・・・千秋、いい加減にしろ。何がそんなにおかしいんだ?」
「当ったり前だろ〜がっ!お前が女を飼い慣らすのはいつもの事だが、猫だと〜ぉっ?!冗談じゃねぇ!天変地異の前触れだっ!!」
「でしょでしょ?!そう思うでしょ?絶対に変よ、直江。あんた頭でも打ったんじゃない?」
「・・・・・、あのなぁ・・・」
直江は言い返す気も失せたように額を押さえている。高耶はそのやり取りを下から大人しく見上げていた。
(ふ〜ん。直江ってやっぱモテるんだぁ。そうだよなぁ・・・、男前だもんな。でも、何か凄い言われ方だなぁ・・・。コイツ、もしかしなくてもタラシ・・・なのか?)
高耶がそんな事をぼんやりと考えていると、千秋が高耶の首の後ろを掴んで持ち上げた。
「フミャッ!(何すんだよっ!)」
「・・・へぇ、結構可愛いじゃんか、直江。お前の事だから極上の雌猫にするってか?」
「千秋、その猫は・・・」
千秋は高耶を顔の前まで持ち上げて笑いながら言ったので直江が訂正しようとした時・・・・。
「フミャーッ!!(俺は女じゃねぇっ!)」
─── ガリッ!
「わっ!」
怒った高耶が千秋の鼻先を引っ掻いたので、千秋は高耶を放り出し顔を押さえた。
「!・・・高耶さんっ!」
直江は慌てて空中に放り出された高耶を受け止め、千秋を睨んだ。
「いって〜っ!何しやがんだ、この野郎っ!」
「はっはっは!千秋、その子は男の子よ」
「何ぃっ!男だぁっ?!」
両手で顔を押さえている千秋を見て綾子が笑いながら言ったので千秋は目を剥いた。
「フ〜ッ!!(そうだ!文句あっか?!)」
直江の腕の中で高耶は全身の毛を逆立てて怒っている。
「このバカ猫っ!懲らしめてやるっ!ちょっとこっち来い!!」
「ちょっと、千秋。大人気ないわよ」
「うるせぇっ!直江っ、ちょっと貸せ!」
「お前が悪いんだろう。高耶さんに当たってどうする」
「・・・・・。はぁ?たか・・やぁ?」
猛然と掴みかかってきた千秋は直江の一言で唖然として動きを止めた。
「そうよ、この子の名前!変でしょ?って直江、教えてくれるんでしょうね」
「あぁ、判ってる」
「何だよ。何を教えてもらうんだ?綾子」
話が見えない千秋は綾子に問うた。
「この子の名前よ。『たかや』なんて変でしょ?直江が理由があるって言うから、それを教えてもらう条件で預かってたのよ」
「ふぅん・・・。当然、俺にも聞かせてもらえるよなぁ・・・、直江」
自慢の顔を引っ掻かれて相当ご立腹の千秋を見て、直江は大きな溜息をついた。
「・・・、わかった。食事でもしながら話そう」
そうして直江は昨晩からの出来事を2人に話し出した。
背景(C)Salon de Ruby