ダイエット
Take hold of a lonely heart (12)
「あの・・・、何かあったんですか?」
突然子猫と共に現れた男が話しかけてきたので3人は一斉に視線を向ける。
ただの野次馬と思ったのか警官の一人がムッとした表情で直江を見た。
「何?あんた・・・。部外者はさっさと行った行った!」
「お、おい!ちょっと待て。この男・・・あの直江信綱だ!」
「いぃっ?!」
青年との口論で余程機嫌が悪かったのか、警官は直江を邪険に扱ったが、声を掛けてきたのが直江と判ったもう一人が慌ててとめたので暴言を吐いた警官は真っ青になっていた。
相手は名実共に有名な直江だ。警官の態度ががらりと変わった。
「いやぁ、実はですねぇ。昨晩ここでバイクと大型トラックの接触事故があったんですが、バイクの運転手が行方不明なんですよ」
「行方不明・・・逃げたんですか?」
「いえ、信号無視したのはトラックの方でバイクは被害者なんですよ。逃げる必要なんてないんですがねぇ」
困ったような顔をしながら警官は頭を掻いた。
「まぁ、警察に見つかるとマズイ事でもしてたんなら別なんですがねぇ」
「高耶はそんな事してない!」
「い、いや・・・例えばの話だよ、君・・・」
警官の発言に、それまで大人しく聞いていた青年が激怒して怒鳴りつけたので警官は慌てて取り繕った。
先程までは相手にしようとしなかった警官だが直江のいる手前無下にはできない。真面目そうな青年だが警官を睨みつける目は恐ろしいものがある。
警官は思わず後退った。
「捜索はしているんですか?」
直江が問いかけると、警官はその助け舟に飛び乗ってきた。
「えぇ。事故直後からこの辺一帯を探してはいるんですが聞き込みをしてみても、誰もそんな青年を見てないんです」
直江は青年が大事そうに抱えているヘルメットを見た。
相当の衝撃があったのが一目で判るほどの傷が付いている。普通で考えればそんなに遠くまで行ける筈がなかった。
「彼は怪我をしているんでしょう?それなのに見つからないのは変ではないんですか」
直江にまで詰め寄られた警官達は困った顔をしている。
「それがですねぇ・・・」
「? 何です?」
「事故当時、後ろを走っていた車の運転手の話だと衝突の瞬間まではいたらしいんです。でもその後、青年だけが消えたそうなんですよ・・・」
「はぁ・・・?」
「トラックに巻き込まれたのかと思い、トラックの足回りもみたんですが・・・。とにかく忽然と姿が消えたらしくって・・・」
そんな事があるのだろうか・・・。直江は驚いて聞いていたが、とにかくその青年がいないのは事実だ。
子猫はシートの上で丸まったままである。普段なら揉め事には関わらないようにするのだが、そのまま無視する気には何故かなれなかった。
「お手数なのは判りますがもう少し探していただけませんか?」
直江の言葉に3人は驚いた。
何故直江がこの事件に関わる気になったのかが判らなかったからだ。
警官としてはこんなややこしい事件はさっさと終わらせたかったのだろう。直江に食い下がってきた。
「でもですねぇ。昨晩から探しても見つからないんですよ。どうやって・・・」
「それがあなた達の仕事でしょう。それに・・・彼は私の知人なんです」
直江は青年を見ながら警官に言った。自分の知り合いと判れば警察ももう少し動くだろうと考えたのだ。
しかし、知人と言うには年齢的に少々無理がある。それにいきなり知人扱いされた青年も驚いた顔をして直江を見ている。
直江はお得意の営業スマイルで青年を見た。
「さっきまで判らなかったんだが、君は確か夏のバイトでうちに来ていただろう? 」
「えっ・・・?!」
直江を見ると警官に判らないようにウインクしたので青年は直江の意図を読み取ってわざとらしい位の笑顔をして見せた。
「覚えていてくれたんですか?!そう、バイトでお世話になった成田譲です!直江社長、どうもご無沙汰してます!」
急に人懐っこい笑顔で挨拶し、頭を下げる譲に直江は話を続けた。
「えぇ。どこかで見た顔だとは思っていたんですがなかなか思い出せなくて・・・。よく働いてくれていたんで覚えてますよ、成田君」
直江はワザと名前を出し、知り合いのフリをする。
その様子を見ていた警官達は顔を見合わせ諦めたような顔をした。どうやら捜索を続ける気になったようだ。
「判りました。直江さんがそう仰るなら我々も努力してもう少し捜索します」
「そうですか、ありがとうございます。では、何か判ればこちらに連絡して下さい」
直江は内ポケットから名刺とペンを取り出し、会社用の名刺の裏に携帯の番号を書いて警官に渡した。
「私以外の者が出る事もありますが事情を話しておきますので・・・」
「判りました。判り次第ご連絡させてもらいますので・・・では、我々はこれで・・・」
「よろしくお願いします」
警官達は無線連絡しながら去って行く。それを見ていた直江に譲は声をかけた。
「どうもありがとうございました。俺だけじゃきっと探してもらえなかったと思います」
「いいんですよ。警察は権力には弱い組織ですし、それに中途半端な捜索など許せませんからね。力になれて良かったですよ」
直江が譲に笑い掛けると、譲は傷だらけのヘルメットを撫でながら独り言のように話し出した。
「高耶は・・・中学の時からの友人なんです。その頃は家庭の事情とかもあって凄く荒れててその辺では誰もが知ってるほどの不良だったんです。でも、高校に入ってからはすっごく真面目にやってたし、俺と一緒に大学受験して松本から出てきたんです」
「松本って・・・あの、長野のですか?」
「はい。それに高耶は親からの仕送りなしでバイトしながら大学行ってるんです。そんな高耶が警察から逃げるような事する筈ない!」
急に語気を荒げた譲に直江は少し驚いた。
だが年齢よりは若く見える譲のどんぐり眼が言っている事が本当の事だと伝えてくるのが判り、直江は微笑した。
「そうですね。過去にどんな事があったとしても今とは関係ないですからね」
「それに・・・昨日、高耶から電話があったんです」
「電話・・・?事故の前にですか?」
「はい。なんでもお父さんに会ったとかって・・・。それでバイトに行くのが遅れるからって」
「その後に突然居なくなったという訳ですね」
「うん・・・。きっとお父さんと何かあったと思う」
「どうしてそう思うんですか?」
俯いてしまった譲に直江は優しく問いかけた。
「きっとお金の事で揉めたんだと思う・・・前にもあったから」
「そうなんですか・・・」
直江の周りにはそんな経験をした者はいなかったので衝撃的な話であった。テレビや本の中でしか見たことのない経歴の持ち主に会ってみたくなったが、行方不明ではどうしようもない。
警察が真面目に捜してくれる事を祈るしかなかった。
「とにかく、今は警察に任せましょう。我々が動いても無駄足になるだけでしょうし」
「そうですね・・・お忙しいのにすいません」
「いいえ、構いませんよ。それより・・・」
顔を上げた譲に笑顔で答えると、直江は子猫の乗ったバイクに歩み寄った。
「これをこのまま置いておく訳にはいかないでしょう。パーツを取られてしまいますよ」
「あ、そうか・・・どうしよう?」
困った顔をしている譲を見て直江はバイクを眺め回した。
「・・・どうしたんです?直江さん」
「ちょっとね・・・あ、ありました。間違いないでしょう」
そう言うと直江は携帯を取り出し、どこかへ電話をかけた。譲はその様子を見詰めている。
「もしもし、ちょっとお伺いしたいのですが。そちらで購入したバイクが事故で動かせなくなってしまっているんですが、修理もありますので引き上げに来て頂けないでしょうか」
直江はバイクに貼ってあるショップのステッカーを探し、そこに電話していたのだ。
「はい・・・はい。え?名前ですか?」
直江は譲の顔を見た。よく考えれば下の名前しか知らない。
「仰木・・仰木高耶です」
譲が急いで答えると、直江は名前を伝えて話を進めている。譲はバイクの傍に行き、上にいる子猫と目線を合わすように屈んだ。
「お前、このバイク気に入ったのか?」
声をかけるとそれまで小さく丸まっていた子猫がゆっくりと目を開けた。
「ミィ〜(譲〜)」
「そっか・・・気に入ったんだ」
小さく丸まった姿が寒そうだったので譲は子猫を抱き上げた。
「30分ほどで取りにくるそうです。これで盗難の心配はないですね」
電話を終えた直江が譲に声をかけた。
「すいません、直江さん。すっかり世話になっちゃって」
「いいんですよ。あぁ、それから修理の見積りですが、出たらこちらに連絡してもらうようにしましたから。その後すぐに修理できますよ」
「ミィッ!(俺、金ないぞ!)」
「えっ?!でも、高耶もいないしお金が・・・」
直江が平然と言ったので譲は驚いてしまった。
修理となれば金がかかる。バイクの状態からして相当かかるだろうし、いくら譲でもそれだけの金を払えるか判らなかった。
「乗りかかった船です。それに傷のついた所はすぐに錆びてきますし、オイルも漏っているようですから早く修理した方がいいんですよ。お金なら私が払っておきますから」
「そんな!そこまでしてもらう訳には・・・」
「いいんですよ、気にしないで。支払いの事は後から考えればいい事です。私は利子なんて付けませんから安心して下さい」
「ははは!・・・直江さんっていい人なんですね」
冗談っぽく言った直江に、譲はつい笑ってしまった。
「おや、冷たい人間に見えましたか?」
「いえ、その・・・すっごく有名だし、一般人なんて相手にしないと思ってましたよ」
譲の言葉に直江は苦笑した。
「酷いですね。私も一般人なんですがねぇ」
「あ、そっか!そうですよね」
自分でもよく判らなかったが、友人の事を自分の事のように心配している譲を見ていて直江は益々高耶という青年に会ってみたくなっていた。
その為には何か接点を残しておきたかったのだ。バイクの修理費ぐらいならそう掛からないだろうし、自活しているなら利子がつくより自分が立て替えた方が負担にならないはずだ。
直江は譲の顔を見ながら、仰木高耶という青年がどんな人物か想像してみた。
「直江さん?この猫は直江さんの飼い猫なんですか?」
「えっ?」
ぼんやりしていると譲が声をかけてきたので、直江は慌てて現実の世界に戻った。
「だって直江さん、この猫追っかけて来たでしょ?」
譲が子猫を両手で持ち直江の目の前に差し出したので、直江はそっと子猫を受け取った。
「この猫ですか?一応今は私が飼っていますが昨晩までは捨て猫だったんですよ」
「えっ?そうなんですか?」
直江は子猫を撫でながら譲に昨晩高耶を見つけた時の事を説明した。
「へぇ、そうなんだぁ。・・・って事は高耶がいなくなった頃に見つけた猫なんですね」
「えぇ、そう言う事になりますね」
2人は揃って子猫を見た。子猫はシートの上にずっといたせいか体が冷たくなっていたので、直江はコートの中に子猫を入れてやった。
「直江さん、この猫の名前は?」
「ミャア?(俺の名前?!)」
高耶は直江の顔を見上げた。猫になっている以上、違う名前で呼ばれるのは仕方ない事だ。
しかし、他の名前で呼ばれる事に抵抗がない訳ではない。
どんな名前をつけるのだろうとじっと直江を見詰めた。譲はコートから顔だけ出している子猫の顔を突いて遊んでいるのを見て直江は考えた。
そういえばまだ名前を付けていなかったのだ。
「実は・・・、まだ名前はないんですよ」
「えっ?そうなの?早くつけてやらないと可哀想ですよ」
「そうなんですがいい名前が浮ばなかったものですから・・・」
「う〜ん、どんなのがいいかなぁ」
譲が真剣な顔をして考え出したので直江も一緒になって考え込んでしまった。
(在り来たりな名前もなぁ・・・そうだ)
「あの・・・成田君」
「譲でいいですよ、直江さん」
「じゃあ譲さん。もしよかったら貴方の友人のお名前を頂いていいですか?」
「へ?高耶の名前を?」
「ミャ?(俺の名前を?)」
譲が驚いた顔をしたので直江は微笑して答えた。
「えぇ、その高耶さんのお名前をいただきたいんです。本人が聞いたら猫に同じ名前を付けるな!と怒りそうですが、高耶さんがいなくなった頃に見つかったこの猫と、今日私が譲さんと出会った事とが何故か偶然に思えないんですよ」
譲は少し考えた後、直江を見上げて笑った。
「そっかぁ・・いいかも知れない。高耶、猫好きだしきっと怒ったりしないと思う」
「そうですか。では今日から高耶さんと呼びますね」
「ミィ〜!(あぁ、いいぜ!)」
譲の了承をもらい、直江は子猫に話しかけると子猫は嬉しそうに鳴いて直江の手を舐めた。
「高耶と同じ名前か・・・なんか高耶がこの猫になったみたいだな」
「ミィッ?(はぁっ?)」
何気ない譲の発言に高耶は驚いてしまった。耳をピン!と立てた子猫を見て直江は苦笑した。
「そんな事があったら驚きますよ。警察が捜しても見つかる訳ないですからね」
(コイツら、知ってて言ってんのか?俺はホントにここにいるんだぞ〜!)
子猫が固まってしまっているのを見た2人は思わず笑ってしまった。
「そんな事ある訳ないよね。驚かせちゃったかな?」
「そうみたいですね・・・おっと、もうこんな時間か」
高耶を撫でていた左手に嵌めた腕時計を見て直江は仕事に行く途中だったのを思い出した。
「すいません。私は今から仕事なもので・・・」
「いいですよ。バイク屋さんが来るまでここに居ますから」
「では後はよろしくお願いしますね。あぁ、何かあったら連絡してください」
直江は譲に個人用の名刺を渡した。
「じゃ、高耶さん、行きましょうか」
「ミィ〜(あぁ)」
直江が声をかけると高耶がちゃんと答えるのを見て譲は思わず笑ってしまいそうになる。
(でも、高耶には直江さんみたいな人と合いそうだよな。早く帰って来いよ、高耶・・・)
丁度来たタクシーを停めて乗り込んだ直江の姿を見送りながら、譲は消えてしまった高耶を想っていた。
背景(C)Salon de Ruby