(さて・・・どうしたものか・・・)
バスルームに入ったものの、子猫を前にして直江は悩んでいた。
自分でやるとは言ったものの生まれて此の方一度も動物など洗った事などなかったので、勝手が判らないのだ。
(恐がらせてはいけないしな・・・。う〜ん・・・)
困った顔をしているような直江を、子猫は首を少しだけ傾げるようにして見上げ、タイルの上でちょこんと大人しく座っている。
浴室暖房が入っているとはいえ、子猫の体は冷えて少し震えている。それに一度濡れたせいか、身体の細さが目立つ。
風邪をひかせる訳にはいかないと思い、直江はとにかくシャワーを出した。
「さて・・・と、とにかく洗いましょうか。恐くないですからね・・・」
お湯の温度を確かめた直江は子猫の背中からそっとシャワーをかけた。顔にかからないように気を付けながら全身を暖めていく。
温まったところで直江はバスタブの横に置いてあるボトルを手に取った。
「・・・。何故2本もあるんだ?」
よく見れば色違いの文字でシャンプーとリンスと書いてある。
「シャンプーは判るが・・・、リンスまでするのか。仕方ないな・・・」
直江は大きな手にシャンプーを出し、腫れ物に触るような手つきで子猫を洗い始めた。
(ん〜、気持ちいい〜!)
大きな手の割に動きが優しく、力加減が絶妙である。人に髪を洗ってもらうと気持ち良いが、それを全身にされているようで高耶はご機嫌だった。
顔を丁寧に洗っていく指を感じながら、高耶はゴロゴロと喉を鳴らした。
「おや、気持ちいいんですか?そのままもう少し大人しくしていてくださいね」
「ミャ〜(わかった)」
タイミングよく鳴いた子猫を見て直江は微笑して、シャワーで泡を綺麗に流す。手早くリンスを終えて、直江は新しいタオルで子猫を包んでバスルームを出た。
「さて、後は乾かすだけですよ。いい子にしてましたね」
そう言うと、直江は子猫の鼻先にそっとキスした。
「ミャ?!(ほぇっ?!)」
直江の行動にも驚いたが、気分の悪い事ではないと思った自分自身にも驚いてしまった。
(そうだよな。飼い主ってみんなするよな・・・)
「ミィ〜(サンキュ〜)」
身体が綺麗になった礼を言うと、直江はにっこりと笑ったようだった。
「さぁ、身体が冷えてしまわないうちに乾かしましょうね」
直江は新しいタオルを2本取り出し、ドライヤーを持ってリビングへと向かった。
「あ、旦那。どうでした?」
「とても大人しかったぞ。お前の洗い方が悪かったんじゃないのか?」
直江はリビングのムートンのラグの上にタオルを敷いて子猫を降ろし、ドライヤーをコンセントに繋ぎながら一蔵に言った。一蔵は仕事が終わったのか、ダイニングでコーヒーを飲みながら子猫のミルクを温めようとしていた。
「そうかのぅ・・・。やっぱ旦那がいいんじゃろ、その猫」
「・・・・・、どういう事だ」
新しいタオルで子猫をワサワサと拭きながらダイニングにいる一蔵を見た。
「やっぱ猫でもいい男は判るんじゃろうなぁ・・・うん」
「はぁ・・・?」
「ミャ?(はぁ?)」
何を言い出すのかと思った直江と高耶は同時に声を出し、一蔵を見たがそのタイミングのよさに、今度はお互いを見た。
「・・・・・・」
「・・・・・・クシッ!」
お互いに考え事をしながら見詰め合っていると、突然子猫がくしゃみをした。
「このままでは風邪をひいてしまいますね。ちょっと煩いですが我慢してくださいね」
驚かないようにと声をかけ、直江はドライヤーを使い始めた。暴れるのではと思っていた一蔵は子猫の大人しさに感心したように見ている。
(ドライヤーくらい知ってるって〜の・・・・でも猫の耳だからかなぁ、結構音デカい・・・)
音の煩さを我慢し、尻尾の先まで綺麗に乾かしてもらった高耶はご機嫌な様子でムートンの上を転げまわった。
「おやおや、ご機嫌のようですね」
ドライヤーを片付けていた直江は子猫の動きを見て微笑した。
「旦那、ミルク出来ましたぜ」
暖めたミルクと大きなスポイドを持ってきた一蔵は子猫の前に座った。
「もうそんな時間なのか?さっき病院で少し飲んでただろう」
「人間も一緒ですが、ちっこい時はしょっちゅうやらなきゃいかんがですよ」
嶺次郎の所でやり方を教えてもらった時に結構飲んでいたので、暫くは大丈夫と思っていた直江は驚いたように子猫を見た。
まだ仕事が残っているし一蔵に任せようかと思ったが、子猫は直江から貰えるものと思っているのか嬉しそうに尻尾を振りながら自分を見上げている。
(・・・・・まいったなぁ、そんな顔で見られては)
あまりの可愛さに直江は仕事を後回しにして子猫にミルクを飲ませる事にした。
「さぁ、ご飯にしましょうか。たくさん飲んでくださいね」
直江は片手で子猫を持ち、スポイドで咽ないようにゆっくりと飲ませていく。
(んぐんぐ・・・ん〜!結構イケるな、これ)
動物用のミルクと聞いて高耶は初めは嫌がったが、身体に合っているのか味は悪くない。
(でもキャットフードは勘弁してほしいよなぁ・・・、ってか俺、相手を早く見つけないと!)
高耶は大事な事を思い出し考えてみたが、今のこの弱った身体では外に出る事もままならないと思い、体力をつける為にも暫くは大人しくしようと決めた。
「さて・・・と、よく飲みましたね。では私は仕事に掛かりますから一蔵と少し遊んでから寝てくださいね」
「ミィ〜(わかった)」
「ほれほれ、猫じゃらしじゃよ〜。ボールもあるきに。ほら、来い(フリフリ・・・)」
一蔵の持っている玩具に興味を示した子猫は、尻尾を振りながら姿勢を低くして狙いを定めている。 直江は子猫のフサフサの毛をクシャッと撫でて書斎へと消えた。
書斎にはパソコンを扱う音だけが響いている。
しばらく暴れ回っていた子猫は一蔵と共に寝てしまったようで、隣のリビングからは一蔵の鼾が聞こえてくる。
「またムートンの上で寝ているな、一蔵のやつ・・・」
床下暖房が入っているとはいえ、朝方は冷え込む。一区切りしたら後で毛布を掛けてやろうと思い、直江は仕事を進めた。
(ん・・・。なんか、苦しい・・ぞ・・・)
高耶は苦しさに眼を覚ました。ふと見ると間近に一蔵の顔がある。
(ふわぁっ!こ、コイツ!放せ〜!う、腕が重い〜っ!!)
一蔵の腕の下敷きになっていた高耶はもがきながらなんとか腕の下から脱出した。
(はぁ・・・、おい、一蔵!殺す気かよ!)
大の字になって寝ている一蔵の胸の上に乗っかり、高耶は心の中で文句を言った。小さすぎるせいか、一蔵は全く気付く様子もなく眠っている。
呆れてしまった高耶は、ふと書斎から聞こえる音に耳をぴるぴるっと振った。
(まだ仕事してんだ・・・もう朝だぞ)
ぼんやりと書斎の方を見ていると、不意に一蔵が寝返りを打った。
「ミィ〜!(わぁ〜!)」
慌てて飛び降りたので間一髪、下敷きにならずに済んだ高耶は大きな溜息をついた。
(あっぶねぇ〜!コイツ、やっぱ危険だ)
傍にいるとそのうち潰されると思った高耶は、まだ仕事をしている直江の書斎に向かった。
ドアの所からそっと覗いてみると、パソコン画面を見詰めたまま仕事をしている直江の姿が見えた。邪魔してはいけないかなとも思ったが、どんな仕事をしているのか気になったので高耶はゆっくりと近寄って行った。
(・・・集中してるんだ・・・、気付いてないな)
足元まで歩み寄ったが全く気付いていないようだ。高耶はちょこんと座り込み、ぼんやりとしか見えない眼で直江を見上げた。
「・・・・・・クシッ!」
「?・・・いつからそこにいたんですか。風邪を引くでしょう」
高耶のくしゃみで傍にいるのに気付いた直江は手を止め、そっと高耶を抱き上げた。
「ミィ〜(まだ仕事すんのか?)」
「音が気になったんですか?もうすぐ終りますから眠ってていいですよ」
掌に高耶を乗せて直江は優しく高耶を撫でた。 大きい手の割に動きが繊細なせいか撫でられるととても心地良いので高耶は大人しくしていると、忘れていた睡魔が襲ってくるのに任せて、高耶は眼を閉じた。
ふさふさとした感触が気持ちよくて、直江は子猫を撫で続ける。
「・・・おや、眠ってしまいましたか」
子猫の顔をちょいと突いてみたがピクとも動かないのを見て直江は苦笑した。手が使えなければ仕事にならない。かと言ってせっかく寝入ったのを邪魔するのも可哀想だ。
直江はどうしたものかと考え、部屋の中を見回すとソファに置いたジャケットが目に入ったので椅子から立ち上がりジャケットを取り行きデスクに戻った。
邪魔にならないデスクの上にジャケットを置き、その上に子猫をそっと乗せて包んだ。
「さて・・・と、最後のチェックをして終わろうか」
気持ちよさそうな顔で寝ている子猫を見ながら直江は再び仕事に取り掛かった。
直江が仕事を終わらせたのは明るくなった午前7時を回っていた。
背景(C)Salon de Ruby
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