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Take hold of a lonely heart (8)
「旦那・・・旦那!着きましたぜ」
「・・・ん?・・・あぁ、そうか」
一蔵の声で直江はようやくパソコンの画面から目を放した。
ふと外を見ると、そこは直江の住むマンションの玄関前だった。病院を出てからは一秒でも惜しいという様にずっとリアシートで仕事をしていたので、どこをどう走ってきたのかも判らなかった。
ようやく体温を取り戻しだした子猫は直江のスーツの中でゴロゴロ言いながら規則正しい寝息を立てている。直江は子猫を起こさないように気を使いながらパソコンと書類を鞄の中へと仕舞い込んだ。
「旦那は先に上がってて下さい。儂は車を置いて荷物を持って上がりますきに」
後部座席を振り返りながら一蔵が言うと、直江は少し考えるような顔になった。ベンツの広いトランクいっぱいの荷物の量が気になったのだ。いくらなんでも一人では辛すぎる量だ。
「いや、俺も持とう。結構大荷物のようだからな」
言いながら車を降り、トランクの方へと歩き出した直江を、一蔵は車から転げ出るようにして慌てて止めた。
「旦那は仕事がありますし、猫がいるじゃろう。これくらいの荷物、儂一人で持てますき」
確かに片手で猫を抱えている為に荷物はそんなに持てそうにはない。直江は諦め、
「判った。済まないが後は頼んだぞ」
そう言い残し、直江はマンションの自動ドアに向かう。一蔵はそれを見遣ってから再度車に乗り込み、地下駐車場へと車を走らせた。
直江はエレベーターに乗り込み最上階のボタンを押した。静かに動くエレベーターの中で直江は子猫のいる辺りを見たが、安心したようによく眠っている。
何故子猫が自分に懐いたのかは判らなかったが、不思議と悪い気はしなかった。自分をよく知った人物がこの姿を見たらきっと驚くだろうな、と思い直江は苦笑すると、その振動が伝わったのか子猫が僅かに動いた。起きたのかと思い、じっと眺めていたが子猫はまた眠ったようで動かなくなった。
直江は最上階に着いたエレベーターから降り、部屋へ向かう。最上階は直江の住む部屋だけなのでエントランスも広い。玄関を開け、直江は暗い中を慣れた足取りで進みリビングの電気を点けた。次に2台のエアコンのスイッチを入れる。30畳はあろうかという広いリビングはそう簡単には暖かくはならない。暖かくなるまでは子猫を出すのは可哀想に思い、直江はコートだけを脱いで鞄と一緒にソファに放り投げた。
「ブランデーでも飲むか・・・」
部屋に着いてホッとした直江は部屋の隅にあるバーカウンターに歩み寄ったが、ふと立ち止まった。
「・・・そうだ、仕事がまだあるんだったな」
変わりにコーヒーを入れようとダイニングへ行こうとしたが、また足を止める。豆を挽いてからになるとその音で子猫が飛び起きそうなので一蔵が上がって来てからにしようと、直江はソファに置いた鞄を手に取りリビングと繋がった書斎へ向かった。
部屋の電気とエアコンをつけてデスクトップパソコンを立ち上げる。車の中で少しはやったが急がないと間に合わないのは眼に見えている。直江はゆったりとした大きめの椅子に座り、まずはノートに入っているデータを移す作業に取り掛かった。
「はぁ〜・・・旦那ぁ!・・・って、あれ?もう仕事してるのか・・・」
両手に沢山の荷物を抱えて部屋に入った一蔵は、直江の姿を探しリビングに向かった。奥の書斎からパソコンを打つ音だけが聞こえてくる。フローリングの上に荷物を降ろし、一蔵は大きく背伸びをしながら書斎へ向かった。
「旦那。荷物、どうします?」
「・・・・・そうだな。適当に置いといてくれ。ご苦労だったな」
直江はパソコン画面から目を離さないまま一蔵に答えると、一蔵は満面の笑みを浮かべた。どんなに大変な事でも、直江に労いの言葉をかけてもらえるなら何でも出来ると一蔵は思っていた。
「旦那ぁ、他に儂に出来る事ないですか?何でもしますぜ」
「・・・・・。あぁ、コーヒーを煎れてくれないか」
「わかりやした!ちくっと待っとうせ」
一蔵は鼻歌交じりで飛び跳ねるようにしてダイニングへと向かう。直江は視界の端にそれを捉え思わず苦笑したが、手を休める事なく仕事を進めた。
しばらくするとミルを使う音が聞こえ、その途端、今まで大人しく寝ていた子猫がスーツの中で飛び起きた。
「ミャッ!(なんだ!)」
離れていたが猫の耳にはよく聞こえたのだろう。子猫はモゾモゾと暴れている。直江は無視する訳にもいかず、キーを叩く手を止め、スーツの中から子猫を取り出した。
「そんなに暴れないで下さい。仕事ができないでしょう」
「ミャァ?(仕事?)」
「急いでいるんです。申し訳ないがあまりあなたの相手は出来ないんですよ」
直江が掌に乗った子猫の耳の後ろを掻きながら言うと、子猫は気持ちいいのか目を細め、喉を鳴らした。
まるで小さなぬいぐるみが動いているようで、面白いと思った直江は仕事の手を止め、暫く子猫と遊んだ。釣られて直江の手にじゃれていた子猫は、不意に何か思いついたように辺りを見回した。
(ここ・・・どこだろ・・・)
高耶は見た事のない広い部屋を眺め回した。
殺風景と思えるほど無駄な物がない室内にはびっしりと難しそうな本が並んでいる本棚と、来客用のソファとテーブル、そして高耶のいる机だけだった。
そんな高耶の様子に気付いたのか直江は微笑した。
「ここは私の家ですよ。今日からはあなたの家でもあるんです」
「みゃぁ?(俺の家?)」
「そうですよ。探検してきますか?」
直江は毛足の長い絨毯の上に高耶を下ろした。高耶はどうしたものかと考えたが、これから済む家の中ぐらい把握しないと・・・と思い、ゆっくりと書斎のドアへと向かった。
(ホントにいいのかな?)
少し不安になった高耶は直江の方を振り返ってみたが、直江は優しく見守っているようだ。
(よし、どんな家か探検だ!)
高耶は少し警戒しながらもゆっくりと歩き出した。
(なんだぁ、ここ。ホントに家かよ・・・)
ぼんやりとしか見えなくてもある程度の事は判る。とにかく広さに驚いた。自分が小さくなってるとはいえ、この広さは尋常ではない。
(アイツ・・・もしかして金持ちなのか?)
そう考えながら何やら音と匂いがするダイニングに行くと、コーヒーを煎れていた一蔵と眼が合った。
「ん?なんじゃ、起きたんか。元気になったようじゃのぅ」
「フミャァッ!(わぁっ!)」
人がいるとは思わなかった高耶は驚いて一目散に逃げ出し、直江の元へ走って行った。
パソコン画面に見入っていた直江は、ふと視界の端に捉えた動く物に何だろう?と眼を向けると、子猫が走り寄ってきていきなり直江目掛けてジャンプした。
「え・・・?!」
膝の上を目掛けてジャンプしたのだろうが、まだ小さいせいかそこまで届かない。直江は慌てて子猫をキャッチした。
「どうしたんです?そんなに慌てて・・・」
「フミィ!フミィッ!(だ、誰かいるぞ!)」
ギンギンに警戒している子猫を宥めるように撫でていると、コーヒーカップを持った一蔵が入ってきてそれを机の上に置いた。
「ありゃぁ・・・旦那にはホント、懐いてますね」
「そのようだな。どうしてかは判らんがな」
直江は苦笑しながら一蔵の煎れたコーヒーを一口飲んだ。
「旦那、風呂・・・どうします?」
「俺は仕事があるからいい。使うのなら別に構わんぞ。お前も疲れただろう」
「いや・・・その・・・猫ですよぉ、旦那」
一蔵の言いたい事がイマイチ理解できない直江はどういう事だ?という顔をした。
「捨て猫ですし、一度綺麗に洗った方がいいんじゃないかと・・・」
言われてみればそうだ。服は洗えばいいが、家の中はそうはいかない。
「そうだな。先に猫を洗うか・・・」
直江が子猫を抱いて立ち上がろうとすると一蔵が止めた。
「旦那は仕事があるじゃろう?儂がやりますき」
「お前がか?」
「へぇ。猫に儂の事も覚えてもらわにゃいかんちや」
直江は子猫を見下ろした。確かに一蔵の事は覚えてもらわなければ困る。まだ警戒心を解いていない子猫をそっと撫でた。
「いいですか?危害を加えたりしませんから、大人しく一蔵と風呂に入ってきてくださいね」
「・・・・・ミィ(判った)」
返事をした子猫をもう一度撫で、直江は一蔵に渡す。
「じゃぁ頼んだぞ、一蔵」
「へい、旦那!綺麗にしてきやすぜ。さ〜て、子猫ちゃん。風呂じゃよ〜」
一蔵は子猫の機嫌を取りながらバスルームへと消えた。
直江は大きく溜息をつき、仕事を再開しようとした。子猫を抱えていたため脱ぐのを忘れていたスーツを脱ぎ、ネクタイを解く。
「さて、本腰をいれて取り掛かるとするか・・・」
直江は再びパソコン画面に向かい、仕事を始めた。
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