Take hold of a lonely heart (4)




「旦那ぁ・・・本当に申し訳ないっす」
「・・・・・」
「旦那ぁ・・・」


 夜中の幹線道路を走る車の中で、運転手の若者はバックミラー越に見える男に向かってひたすら謝っている。後部座席の男は「もういい」と言ったが、それでも若者は謝り続けている。
 後部座席にゆったりと座っていた男は窓枠に肘をついて頬杖をし、流れる景色を眺めていたが、さすがに30分近く同じ台詞を聞いているのに疲れてきた。溜息を一つついてバックミラーを見た。
「・・・一蔵」
「は、はい!なんでしょう、旦那」
「もういいと言っただろう?何故いつまでも同じ事を言う」
「いや・・・その・・・、接待オジャンにしてしまったし・・・、儂がドジ踏まなきゃこんな事にはならんかったと思うと・・・」
 怒られると思ったのか、運転しながらも申し訳なさそうに声と共に小さくなる一蔵を見て、男は小さく笑った。
「だからその事はもういいと言ってるだろう?それに接待がなくなって助かった。礼を言いたいくらいだ」
 男の言葉に驚いた一蔵はどういう事だろうという顔でミラーを覗いた。顔を見ている限り、嫌味ではなさそうだ。ホッとして小さく息をつく。
「でも旦那、ホントにいいんですか?相手さん、怒ってたら・・・」
「気にする事はない。相手としては逃したくない儲け話だ。それにあんな趣味の悪い店で飲んでいたら別の意味で悪酔いする」
「はぁ・・・そんなもんですかのう」
「当たり前だろう。あんな低次元の話しか出来ない女のいる店など、いるだけで気分が悪くなる。あんな所に俺を連れて行くとは・・・。考え直した方がいいかも知れんな」
「そうですか?それならいいんじゃが・・・」
「それに千秋にも連絡は取ってみたが、俺が見た方が早そうだしな。明日の予定は?」
 突然に明日の予定を聞かれ少々焦った一蔵だったが、丁度信号で止まったので助手席にある手帳をめくり、予定を確認する。
「えーっと、明日午前中は特に予定は入ってないっす。午後2時からは幹部会議。4時からは 新企画の打ち合わせ・・・と、後は入ってないです」
「そうか。ならこの後徹夜しても問題ないな。2時には間に合うだろう」
「すんません、旦那。儂がもっとしっかり見ときゃこげんな事にはならんかったがです」
「だから言ってるだろう。いくらお前でも今回のソフトは扱えん。その為のソフトなんだからな」
「そうですね。ハッカー防止のソフトが簡単にクリアされちゃ意味ないです」
 一蔵は苦笑しながら車を発進させた。
 一蔵は裏では名の通ったハッカーであったが、6ヶ月前にある仕事でこの男の会社のPCにもぐりこんだが失敗し、おまけにバレて捕まってしまった。てっきり警察行きかと思っていたが、会社の社長である男に「うちで働くなら見逃してやる」と言われ、現在に至っている。
 最初は頃合を見て逃げようと考えていたが、男の仕事ぶりに惚れたようで今は運転手兼ソフト開発に携わっている。
「ディスクだけ会社に取りに行って、後は自宅でする。明日は1時くらいに迎えに来てくれればいい。忙しいようなら自分で車を出すから連絡してくれ、いいな」
「判りやした、直江の旦那」
 一蔵は言われた通りに会社へと車を走らせている。直江と呼ばれた男はまた窓の外の景色を眺めた。
 直江は30歳を少し超えた年齢であるが、PCソフト業界では名の知れた人物である。2年前から様々なソフトを開発し、今では5本の指に数えられるほどになっていた。かといってオタクっぽい雰囲気はなく、容姿はまるでどこかのトップモデルのようだ。そのせいか、最近は雑誌などの取材も多い。当然追っかけのような女が増えていたが直江は全く相手にしていない。群がってくる女は皆金と地位と名誉と身体が目的と判るからだ。そんな浅ましい人間など相手にするだけ無駄と思っている。仕事仲間の千秋には「人間性が欠けている」と言われるが気にしていない。今は仕事が一番楽しいし、女にも不自由していない。特定の相手を決めるつもりは毛頭なかった。仕事上、気を許せる人間がいないというのもあるが、今はそれでいいと思っていた。



「ありゃ?どがいしたかのぅ」
 会社まであと数分という辺りでこの時間にしては道が混み出した。流れる景色が止まったのと一蔵の声に直江は前を見た。確かに混んでいる。
「どうした?こんな所で」
「ん〜、どうやら事故のようです。ここからなら迂回できますよ」
「あぁ、そうしてくれ。余計な時間はないからな」
 直江の言葉に従い、一蔵はすぐ横の道に左折した。暇な時間に左ハンドルの運転の練習として千秋に裏道を教えられていたので会社まではすぐだ。
一蔵は3分で会社前に車を乗りつけた。
「旦那、ちょっと待っとうせ。儂が取ってきますきに」
「ちょっ・・お前が行くのか?」
 急いで車を降りようとする一蔵を止めて直江が問いかけた。
「これくらいしか儂が出来る事ないし、旦那は煙草でも吸って待っててください」
 そう言い残し、一蔵は裏口へと走っていった。社員が帰った後はセキュリティーの事も考えてエレベーターを全部停止させている。その為、最上階の社長室には階段で行く事になるのだった。しばらくは帰ってこないと思った直江は車から降り、少し酔いを醒まそうと思った。
 10月ともなれば夜は冷える。しかし今の直江にはそれが心地よかった。スーツの内ポケットから煙草を取り出し火を点ける。煙を吐き出しながら上を見上げたが、当然の事ながら最上階にはまだ電気はついていない。ふと気になり、先程の渋滞していた方を見るとパトカーだろうか。赤灯をつけた車が数台いるのがわかる。
ぼんやりとその様子を眺めながら煙草を吸っていると、一台の清掃車が直江の車の前に停まった。2人の作業員がビルの横の路地にあるゴミ置き場に向かう。ゴミ箱の上にあるダンボールなどを手際よく片付けていく。直江はなにげなくその作業を見ていたが、不意に2人の動きが止まった。一つのダンボールを持って何か話している。
(あれは・・・、確か綾子の所のだったな)
 隣のビルの一階にある馴染みの喫茶店のゴミ置き場だな、と思い出した直江は何かあったのかと思い、携帯用の灰皿で煙草を消すと2人の方へと歩み寄った。








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