疾走する一台のバイク────
それはこの世のすべてを恨み、憎み、拒絶しているようにひた走る。
真夜中の幹線道路を法定速度の2倍以上で走る行為は、はっきり言って自殺行為で
ある。
しかしライダーは全く気にするようでもなく、むしろそれを望んでいるようであっ
た。
「ちっきしょーっ!親父のやつ……ッ!」
ヘルメットを被っていても聞こえるくらいの大声で叫んでるのは高校生だろうか。
革ジャンにジーンズという衣服で細身の身体を包んでいる。
鋭い切れ長の瞳は前しか見ていない、というよりはその遥か彼方を見ているよう
だ。
この少年は1時間ほど前に家を飛び出した。理由は父親の暴力に耐え切れなかった
せいだった。
5年前、事業に失敗し酒と暴力に走った父に、母親は愛想を尽かし妹と共に出て
行った。
その分の怒りもすべてこの少年は自身の身体で受けてきた。
(いっその事、殺してしまおうか…)
そう思った事は何度もある。
しかし、今は穏やかに暮らしている母と妹を思うと出来なかった。
犯罪者の母。殺人者の妹。と、世間から後ろ指指されて暮らすような事はさせられ
ない。
それだけの思いだけで、この強行を押し止めていた。それがなければ、自分は当の
昔に暗く高い塀の中だっただろう。
毎日のように暴力を振るわれ、少年の生活は荒んでいった。
今や『仰木 高耶』という名前を聞いてビビらない中・高生はいないくらいだ。
今日もたまたま家にいた高耶と鉢合わせた父が暴れだし、いつものように殴りか
かってきた。
抵抗すればするほど酷く殴られるのでいつもは嵐が過ぎ去るのをじっと耐えるよう
にしていたが、とうとう包丁を持ち出してきたので無我夢中で家を飛び出してきた
のだった。
この世で自分が一番不幸に思えた。
何故、妹と一緒に自分も連れて行ってくれなかったのかと母を恨む事もあった。し
かし、それももうどうでもいい事のように思えた。
(もう…疲れた…)
誰一人として自分を守ってくれる人はいない。自分の身は自分で守るしかなかっ
た。
そのせいか、人付き合いは苦手である。
信じて裏切られるのなら最初から信じなければいい。そう思って今日まで生きてき
たがもう限界だ。
(このまま死んじまったら楽だろうな…)
そう思った高耶はハッ…と笑った。笑ったせいで、先程父に殴られて腫れた頬が痛み
少し顔を歪める。
自分が死んでも悲しむ人間などいないだろう。そう考えた時、ふと脳裏に浮かぶ顔
があった。母、妹、そして唯一親友と呼べる友…。しかしそれ以上の顔は浮かんで来
ない。
(俺がいなくなったって悲しんだりしないだろう?さっさと忘れていつもの生活に戻
るだけさ)
知らぬ間に右手はアクセルを開けていた。まるでこれから死へのカウントダウンを
するように────
時々見かける車を追い抜きながら無心でバイクを走らせる。
時折浮かんでくる顔を無理矢理頭の外へと追い出す。
(もう、いいだろ?俺…疲れてんだ。もう…終わらせてれ…)
耳に入るのは甲高いエンジン音とエキゾーストノート。それと風を切る音と自分の鼓動だけ…。
目に入るのは一直線の道路に灯る青信号。その先には────
大きな鎌を持った死神が見えたような気がした。
(俺を…連れて行ってくれ)
この先、生きていても自分を必要としてくれる人間に出会えるとは思えない。
誰にも必要とされないなら、ここで終わってもいいだろう?
高耶はいつしか道路の先にいる死神と会話していた。
5つ先の信号が赤になってる事に気付いたが、高耶は迷う事なく走り続ける。
相当スピードが出ていたが気にしない。
死神に取り付かれた今、恐怖は感じなかった。
あっという間に信号の手前まで来た。
信号待ちしている数台の車の間をすり抜ける。運良く、というより今の高耶にとっては運悪く信号が青に変わった。
(へっ…まだ死なせてくれないってか…)
スピードを落とさず交差店内に入る。
その途端、目の前を過ぎる影を捉えた。
(えっ…?)
右手から現れた影は信号無視して出てきた大型トラックだった。
高耶は思わず上半身を起こした。知らぬ間にアクセルを戻している。
しかし、100km/hを超えるスピードはそう簡単に止まるものではない。心では死にたいと思っていても身体が拒否しているようだ。
無意識のうちにハンドルを切り高耶は転倒した。
目に映るのは迫り来るトラックと、火花を散らしながら路面を滑るバイク。
不思議と身体の痛みは感じない。すべてがスローモーションで動いている。
今ならまだ助かるぞ、と死神に言われているように。
恐い…とは一瞬思った。しかし、もう苦しむ事はないと思えば、不思議と恐怖はなくなった。
(これで…楽になれるのか……)
死ぬと判って笑っているのは自分くらいだろう。高耶は自嘲気味に笑って死神に手を差し伸べる。
(さぁ…、早く、連れて……)
トラックが死神に姿を変え、高耶に鎌を振り下ろす ───!
高耶が最期に見たものは、悲しげな顔をした死神と、反対側から突然光った強く、白い光だった ─────
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