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人は誰でもいくつかの顔を持っている ────
幾つもの仮面で素顔を覆っている
仮面を多く持ちすぎて
どれが本当の顔か判らなくなっていく
この世は仮初めの城 ───── そして そこは快楽と狂宴だけを求める人種が蔓延る店
それは
誰一人として抜け出せない迷宮
その世界に一度足を踏み入れてしまえば もう後戻りは出来ない
今日もまた一人
蜜に群がる蝶のように引き寄せられる
店内の更に奥の 甘美な蜜を貪ろうと ────
都会の闇に紛れて存在する
欲望に身を窶せる場所
その名は ───────
Masquerade
今宵もまた
蜜に溺れた憐れな蝶が
羽をもがれ
奈落の底へと堕ちて行く ───────
Prologue
静かなホテルの一室。
僅かな間接照明に浮かび上がるベッド上の影。
微動だにしなかった寄り添うような影の一つが静かに動く。
「・・・どうしたの?」
動いた影の主に寄り添っていた女が擦れた声で問いかけた。
しかし、相手は答える事なく煙草に火を点ける。
「ねぇ、どうしたの?もしかして・・・・さっきのお願いに怒ってるの?」
「・・・・・・・・・」
「ねぇ・・・・・、っ?!」
女の事など眼中にないと言わんばかりに男はベッドから身を起こすと、女に背を向け身支度を始めようとした。
その様子に答えを見出したのか、女は血相を変えて慌ててベッドから飛び起き、男に縋り付いた。
「お願い!お金なら何とかするから!そりゃ今までのようにはいかないかも知れないけど・・・、でも!でも何とかするから・・・お願いっ!今まで通りに私と一緒にいて!!」
「・・・・・・煩い人ですね」
あまりにしつこい女の態度が余程気に入らなかったのか、男は大きな溜息をつきながら煙草の灰を灰皿に落とし、ゆっくりと女を振り返った。
その顔は女が今まで見た事のない、冷徹極まりない表情だった。
「無理を言ってるのは判ってる!でも・・・、でも、やっぱり諦めきれないのよ!」
長い髪を振り乱し、涙目になって必死に縋る女を一瞥すると、男はふっ、と微笑した。
しかし、それはまるで悪魔のような微笑だった。
「私は店での契約により、今まで貴女と関係を持っていたんです。契約を無視してまで貴女と一緒にいる理由がない」
相手にするのも鬱陶しいと言うように男はベッドを降り、衣服を身に着けていく。
女は愕然とした表情で男の広い背中を見つめるだけだった。
そんな女に追い討ちをかけるように男は表情一つ変えず言葉を紡ぐ。
「女というのはね・・・、普段の顔とは別にベッドの上での顔があるんですよ」
「え・・・・?」
何が言いたいのか判らない女は男を見つめた。
「世の中には普段、どれだけ冴えない顔の女であってもベッドで男を虜にする事が出来る女がいるんですよ。そして・・・その逆もまた然り・・・」
男は女を振り返り意味有り気に笑った。
「貴女はとても綺麗な女性だ。道行く誰もが振り返る程のね。でも・・・・・」
「・・・でも?」
「ベッドの上での貴女には魅力がないんですよ」
「・・・っ!!」
予想もしなかった言葉に女は呆然となった。
今まで数え切れない程の男とベッドを共にしてきたが、一度たりともそんな事は言われた事がない。
どう言う事かと眼で問いかけると、男は煙草をもみ消し、ネクタイを手に取りながら言葉を続けた。
「冴えない女でも男の腕の中でまるで蝶の羽化のように表情が変わる女がいるんですよ。そういう女は抱いていてとても面白い。しかし、貴女のようにどれだけ美しい女でも、醜く変わる女ははっきり言って興醒めする」
「・・・・・・・・・・・・」
「快楽に歪む顔が美しいのはこちらとしても抱き甲斐がある。だが、醜い顔は仕事でなければ見たくもないんですよ」
男はそれだけ言うともう話す事はないと言うように、クローゼットに仕舞ってあったスーツを取り出した。
「契約は守っていただきます。"金の切れ目が縁の切れ目"・・・。簡単に言えばそう言う事ですよ」
男は営業スマイルを浮かべ女を見た。
「これで貴女との関係もなくなります。また貴女にあの店に来られるだけの金が出来れば・・・・その時は今まで通りにお相手しますよ」
「そんな・・・・・・・」
女は打ちひしがれたようにベッドの上で蹲った。
「今までのお礼に・・・・今夜の此処の支払いは私が済ませておきます。それでは・・・・・」
御機嫌よう。と、男は未練を感じさせない動作で部屋を後にした。
「・・・・・・・義明・・・・・」
男の名を力なく呟いた女の声は、男には届かなかった。
一人残された広いホテルの一室で ────
生きる希望を失った憐れな蝶が
その命を絶ったというのが判ったのは
その日の太陽が真上に差し掛かる頃だった。
「ふぅ・・・・・、ったく、疲れる女だったな・・・・」
支払いを済ませて自分の車に乗り込んだ男はシートに深く身体を預け、溜息をついた。
今頃はあの部屋で泣く事も出来ない程ショックを受けているであろう女の顔をふと思い出す。
酷い事をしている自覚はある。しかし、これが仕事なのだから仕方がない。
気だるい気持ちを切り替えようと、義明と呼ばれた男はポケットから煙草を取り出した。
火を点け、深く煙を吸い込む。
ゆっくりと吐き出す煙が大気に紛れて薄れていくように、女への罪悪感も薄れていくような気がした。
ふと目に付いたコンソールの時計を見ると、午前3時を回っていた。
「さて・・・・これからどうしたものか・・・・・」
義明はこれからの時間をどう過ごすか考えた。
今から別の女を誘うのもはっきり言って面倒だ。それに今日は朝から本業が控えている。
家に帰って寝るのもいいが、時間までに仕事に行けるのか自信がなかった。
「仕方ない・・・・」
義明は車のエンジンをかけると、仕事場を目指し走り出した。
Illustration from 上 (C)CoolMoon
下 (C)Salon de Ruby