Take hold of a lonely heart (16)




「さて・・・、俺はそろそろ帰らせてもらうぞ」
「えぇ〜?!もう帰っちゃうのぉ?」
 直江にタクシーを呼んでくれ、と言われた綾子は不服と言わんばかりに直江の肩に腕を回し、じろっと睨み上げる。
「俺だけならいいが高耶さんが可哀想だろう。それに明日は朝から用事が入ったから、そうゆっくりもしていられないんだ」
「うぅ〜・・・、判ったわよっ」
 苦笑する直江に仕方ないと言うように綾子がゆっくりと腰を上げ電話を掛けに行くと、それと入れ替わりに息を切らせた千秋が戻ってきた。
「何だよ直江。お前、明日は家でゆっくりするんだろうが」
「・・・・そのつもりだったが予定が入ったんだ。仕方ないだろう」
 静かにグラスを傾けている直江をじとっと見て、何かを察したのか千秋がニヤリと笑った。
「ははぁ・・・お前、昼間に電話してた相手がそれだな?」
(電話?・・・どこにだろう)
 千秋の後を追いかけるようにして戻ってきた高耶は直江の足元で2人の会話を聞いていた。
(・・・女と会うのか?なら・・・・俺はここか一蔵と留守番だな・・・)
 そんな事をぼんやりと考えていると、突然大きな手が目の前に現れた。
「ミャ?(直江?)」
「それだけ暴れたら疲れたでしょう?高耶さん」
 直江は高耶を抱き上げて膝に乗せると優しく背中を撫でる。
小さく、まだ弱っている身体はすぐに疲れてしまうようだ。だが、直江に撫でてもらうとその疲れが和らいでいくような気がして、高耶は眼を閉じ、ゴロゴロと喉を鳴らした。
 その間に千秋は直江の横に腰を下ろすと、手早く水割りを作って一気に飲み干していた。
「ぷはぁ〜!運動した後の一杯は最高だな!」
「・・・・それは普通、ビールで言うものだろう、千秋」
「だってビール取りに行くの、面倒臭いだろうが」
 ムスっとした顔で千秋はポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
「ミィ〜!(直江〜、水!)」
「あぁ・・・高耶さんも喉が渇いたんですね」
 直江はミルクを与える時と同様にスポイドで高耶に少しずつ水を与えると、よほど喉が渇いていたのか、高耶はコップ半分近くの水を飲んでしまった。
「落ち着いたようですね、高耶さん」
 水を飲み終えた高耶をカンターの上に降ろすと、直江は立ち上がって荷物を纏め始めた。
「直江〜!タクシー、10分くらいで来るって」
 電話を終えた綾子が缶ビールを5本ほど抱え、ちょっとフラついた足取りで戻ってくる。
よいしょっ!と掛け声を付けて千秋の横のカウンター席に座った綾子は途端にプルタブを開け、早速ビールをグラスに注ぎだす。
「おいおい綾子、俺にはねぇのかよ」
「何言ってんの!あんたとまだ飲むからこうやって纏めて持ってきたんじゃない!」
 ちょっと据わった眼で千秋を見据えると、綾子はビールを千秋のグラスに注ぎだした。
それを見ていた直江はいつもの事とはいえ、思わず感心してしまう。
「お前達、それだけ飲んでよく次の日に残らないな」
「・・・お前に言われたかねぇよ」
「そうそう!あんたの酔い潰れてる所なんて見た事ないものね〜」
 二人は早速グラスの中身を空け、新たにビールを注いでいる。
 綾子も千秋も相当な酒豪で、どれだけ大量の酒を飲もうがチャンポンしようが翌朝はケロッとした顔で仕事をしている。
一体、2人はどうやって大量のアルコールを体内で消化させているのか。不思議に思う直江であった。
 渇きを癒した高耶はカウンターの上で満足そうに顔を洗っていたのだが、その様子を「可愛い〜!」と叫びながら豪快にビールを飲む綾子を見て動きが止まってしまう。
(すっげぇ姉さんだなぁ・・・・。うっ・・・・・でも、酒臭いのはちょっと・・・・)
 敏感な鼻のおかげでアルコールの匂いが鼻に衝く。
父親のせいでアルコールが苦手な高耶は気分が悪くなりそうなので、カウンターから直江が座っていた椅子へと飛び降りた。
「あらぁ、どこ行くのよぉ」
 高耶の事が余程気に入ったのか、綾子は離れるのを許さず隣の席にいる高耶の喉を掻いてやる。
「大酒飲みの相手は御免だとよ」
「なんですってぇ〜!」
 千秋の嫌味が逆鱗に触れたのか、綾子は千秋を振り返り両手で首を掴むとブンブンと揺すった。
「わっ!おま・・、止めろって!ぐるじぃ〜っ!!」
「うるさい!今日は朝まで付き合ってもらうからね!覚悟しなさい〜!」
(あわわ・・・・どうしよう・・・!)
 とばっちりが来そうで思わず後退さってしまった高耶は直江を見た。
荷物が纏まった直江はその光景を少し離れた所で眺めていたのか、呆れたように額を押さえている。
「ミィ〜!(何とかしろ、直江!)」
 堪らず直江に向かって高耶が鳴くと、直江は高耶の乗っている椅子の後ろまで歩み寄った。。
「お前達・・・じゃれるのはいいが、程々にしておけ」
「うるさいわね!こんなヤツ、一度死なないとわかんないのよ!」
「だ〜っ!苦しいっての!おい、やめ・・・わぁ〜!!」
 止めに入った直江の方に顔だけ向けてまだ千秋を揺さぶる綾子を見て、直江は溜息をついた。
 タイミングよくタクシーが店の前に停まったのが見えたので、直江は荷物を手に取った。
「まったく・・・・・、好きにしろ」
 それだけ言うと、直江は高耶を抱き上げ店を出ようとする。
「ミィ〜、ミィ〜!(おい、放っておいていいのかよ!)」
 直江の肩によじ登り、綾子と千秋を心配そうに見て鳴く高耶に、直江は宥めるように撫でた。
「いつもの事ですから心配要りませんよ。さ、タクシーに乗りますから・・・」
 気にはなったものの、直江がそう言うのなら大丈夫だろうと思い、高耶は直江のスーツの中に潜り込んだ。
 直江は高耶が寒くないようにコートの前を軽く閉じると、店を出てタクシーに乗り込んだ。







(千秋のヤツ・・・・本当に大丈夫なんだろうか・・・・)
 マンションに着いた高耶は直江が風呂に入っている間、ムートンの上で転げながらそんな事を考えていた。
「心配ないですよ。明日には2人とも何事も無かったような顔してますから」
 と直江は微笑していたが、高耶にとっては始めての光景で、やっぱり気になる。
(明日会えば結果は判るか・・・、って俺、明日はどうしたらいいんだ?)
 店での会話を思い出した高耶は跳ねるように飛び起き、ちょこんっと鎮座した。
(直江のヤツはデートみたいだし・・・。そんな所に一緒にいたかねぇしな・・・)
 いちゃつく姿というのは当人にとってはいいだろうが傍目にはいい迷惑だ。
(それに俺はしなくちゃいけない事があるんだ。じっとなんかしてらんねぇ・・・!)
 本来の目的を思い出した高耶は心の中でぐっと拳を握った。
「眠っていなかったんですか?」
(ほえっ?)
 声のした方向を見ると、風呂から上がってきた直江が髪をタオルで拭きながらバスローブ姿で立っていた。
「ミィ〜(うん、起きてた)」
 高耶が答えると、直江は優しく微笑んでダイニングの方へと歩き出したので後を付いていくと、直江は冷蔵庫からビールとミルクを取り出し、缶ビールを飲みながら高耶のミルクを温め始めた。
(・・・・しっかしなぁ、コイツほど台所が似合わないヤツも珍しいよな)
 コンロの前に立つ直江を見上げながら高耶はそのアンバランスさに思わず吹き出しそうになる。
「・・・・どうかしましたか?」
 じっと見つめているのが気になったのか、直江は高耶を見ると抱き上げて肩の辺りに乗せた。
「ゴロゴロ・・・・・・(何でもねぇよ)」
 バスローブの感触と直江の体温が心地よく、高耶は泣き声の代わりに喉を鳴らして答える。
すると、直江はあまりの可愛さについ表情を崩した。
「さ、出来ましたよ。寝る前ですからたくさん飲んでくださいね」
 ミルクを容器に移し替えリビングに移動した直江はソファに座ると、肩に乗せていた高耶を片手で持ってミルクを飲ませ始めた。
 高耶が一生懸命にミルクを飲む姿を眺めていると、なんだか気持ちが安らぐ。一日の慌しさから解放されるような・・・。
(こんな穏やかな気分になったのはいつ以来だろうか・・・・・)
 最近アニマルテラピーなるものがあるが、それも判る気がする。
 今までは仕事だけで十分だと思っていた。
合間の息抜きには扱いやすい頭のいい女がいればそれでよかったのだから。
しかし、高耶と一緒に住むようになってまだ2日だが、身体の無駄な力が抜けるような、とてもリラックスした気分になれるのが判る。
正直言って、今朝までは高耶を引き取ってくれそうな場所を頭の中でリストアップしていた。
だが、時間が経つにつれ、綾子の店で待っている高耶が気になりだした。
会議の最中も大人しく待っているのか、仕事が長引いて迎えに行くのが遅くなり、寂しい思いをしていないか。
気になりだすとどうしようもなくイライラしてくる。
本当はまだ煮詰めたい話もあったのだが、無理矢理切り上げて帰ってきてしまったのだ。
(・・・・まぁ、こういうのも悪くないな・・・・・)
 高耶を相手に家でのんびりと静かな時間を過ごす。
今までの自分では考えもつかないような行動ではあるが、それでもいいと思える。
「フミャ〜(ごっそさん〜)」
「・・・・・・・・満足しましたか?」
 考え事をしながらミルクを与えていたせいで高耶の声で我に返った直江は、膝の上で満足そうにしている高耶を両手で包むようにして微笑んだ。
「ゴロゴロゴロ・・・・(う〜ん・・・極楽〜)」
(こんな顔を見ていると、こっちまで幸せな気分になるな・・・・)
 眼を閉じて喉を鳴らす高耶の喉を掻いてやると、安心し切ったように手に身体を預けてくる。
喉を掻く度に首輪の鈴がチリチリと鳴ったが、高耶は気にする事なく、そのまま眠ってしまった。
 直江は暫く高耶を撫でながら今後の事を考えた。
昼間にあった刑事から一応連絡はあったが、やはり仰木高耶の消息はまだ掴めていないと言う。
(バイクに執着したこの猫といい、やはり関係があるのだろうか)
 気になる所はいろいろあるが、焦ったからといって進展するものでもない。
 すっかり熟睡して顔を突付いても反応しない高耶に苦笑しながら、直江は高耶をそっとムートンの上に置いてタオルをかけてやる。
「ここなら床下暖房も入っているしよく眠れるだろう・・・」
 名残惜しそうに高耶を撫でると、直江はカウンターバーからブランデーとグラスを取り出し、フットライトだけを点けて寝室へ向かった。





(う〜ん・・・・ん?どこだ、ここ?)
 タオルの間からひょこっと顔を出した高耶は周りを見渡した。
(あ、俺・・・ミルク飲んでそのまま寝ちまったんだっけ・・・)
 ムートンの上で寝ている事を考えると、直江がここの方が暖かいだろうと思って寝かせたのだろう。
暖かいのは確かだが、どうも落ち着かない。
 時計を見ると1時を回っていた。
(ん〜・・・直江、起きてるかなぁ・・・・)
 直江がいるであろう寝室の方を見て高耶は考えた。
ここでも十分暖かいのだが、何かが違うのだ。
(そういやぁ、俺・・・・いつも直江の傍でしか寝てないんだ・・・・・)
 高耶は自分がこの姿になってから眠る時は直江の服がある場所でしか熟睡していない事に気付いた。
(行っても直江・・・寝てるだろうしなぁ)
 寝室のドアは硬く閉ざされており、高耶では開ける事は不可能である。
それでも、ここでは落ち着いて眠れる気がしない高耶は冷えた廊下に出てチリチリ・・・と、鈴の音だけさせながら寝室へと歩き出した。
「さて・・・・そろそろ寝るとするか・・・・」
直江はノートパソコンの電源を切ってサイドテーブルに置くと、傍らにあったブランデーを手にした。
リビングを出てからすぐに寝ようとは思ったのだが、仕事が気になり、直江はついパソコンを立ち上げていたのだった。
 明日は一日仕事はない。久々の完全なオフだ。
いつもならどこかの女に連絡を取って、今頃はここにはいなかっただろう。
(・・・・・変れば変わるもんだな)
直江は思わず苦笑した。
空になったグラスをテーブルに戻そうとして時計が眼に入る。
(1時か・・・・そろそろ寝ないとな)
 直江は電気を消そうとリモコンに手を伸ばした ────。
「ん?何か・・・・聞こえたような・・・」
 微かな音が直江の鼓膜に届き、ドアの方を見て何の音か考えながらも耳を澄ます。
しかし、今は何も聞こえない。
(何なんだ・・・今の音は・・・)
 考えてみるが思い当たるものがない。
「・・・・・・・まさか?」
 直江はベッドから降りるとドアへと向かった。





(まさか起きてる訳ねぇよな・・・・・・)
 寝室の前でちょこんと座り、高耶は聳え立つようなドアを見上げる。
身体が小さい為、ドアノブまではジャンプしても届かないだろう。
暫くドアを見つめていたが、開く事はないだろうと思い、高耶はリビングに引き返そうと立ち上がろうとした。


ガチャッ


(えっ?・・・・)


「高耶さん?!何してるんですか、こんな所で・・・!」
 ドアを開けた直江は足元にちょこんと座っている高耶を見て、思わず驚いたように叫んだ。
「・・・ミィ〜(だって・・・・)」
 直江の顔を見て眼を細めて鳴く高耶を、直江はすぐさま抱き上げた。
「リビングで寝ていたんじゃ・・・・あぁ、こんなに冷たくなって・・・」
 冷たい廊下にいたせいで、高耶の足の肉球は冷たくなっている。
直江は体温を分け与えるようにしっかりと抱き締め、ドアを閉めてベッドに戻った。
「無茶な事をしますねぇ。風邪でもひいたらどうするんですか」
 ベッドに腰掛けて、直江は高耶を首の辺りに乗せて撫でてやる。
「ミィ〜(だって・・・一人でいたくねぇんだ・・・・)」
 人間の姿では絶対に言わない言葉だろう。だが、今は素直になれる。
「・・・・寂しかったんですね。すいません、気付かなくて・・・」
 直江は労わる様に高耶を撫で続ける。その心地よさに、高耶は喉を鳴らして答えた。
「ちょっと待っててくださいね」
 高耶をベッドの中に入れると直江は立ち上がった。
「ミャ?(どこ行くんだ?)」
 布団から顔を出し、不安そうに見つめる高耶に直江は微笑した。
「リビングの暖房を消してくるだけですよ。すぐに戻りますから」
 直江が寝室から出て行くのを見届けると、高耶はベッドの中で丸まり、今までの行動を振り返る。
(う・・・・・なんか俺、すっげぇ恥ずかしい事してるぞ!)
 あまりにも素直な行動に出てしまった自分に思わず自己嫌悪に陥りそうになり、高耶は堪らず後ろ足で耳をタパタパと掻いた。
しかし、リビングにいてもきっと眠れなかっただろう。それだけは判る。
(ま、いっか。こんな時くらいは・・・)
 人間ならきっと百面相のように表情が変わっていただろう。これまた猫の姿に感謝である。
 程なく直江が戻ってきたので、高耶は布団からもそもそと這い出した。
 大きなベッドからひょこっと顔を出す高耶の仕草が可愛らしく、直江はつい表情を緩めてしまう。
「貴方がここがいいと言うなら仕方ない。一緒に寝ましょうか」
「ミィ!(うん!)」
 ベッドに入りながら嬉しそうに鳴いて答えた高耶を胸の上に乗せて、直江はリモコンで部屋の明かりを消した。
「潰さないように気をつけますから・・・・おやすみなさい、高耶さん」
「ミィ〜(おやすみ、直江)」
 胸の上で小さく丸まって眼を閉じた高耶が熟睡するまで直江はずっと高耶を撫で続けた。
(・・・・なんでこんなに懐いたんだろうな・・・)
不思議ではあるが、今は高耶に感謝している。
人間にはゆったりとして過ごす時間が必要なんだと教えてもらったのだから。
「・・・・もう熟睡したのか・・・」
 さっさと熟睡する高耶に苦笑した直江は、起こさないようにそっと高耶を首の横に下ろして布団をかけてやる。
「・・・・・・おやすみなさい、高耶さん」
 もう一度声をかけ、高耶をそっと撫でながら直江も眠りについた。








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