Moon light serenade |
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真夏のような強い日差しが照りつける広いテラス。
芝生が敷き詰められているそこの真ん中に、ちょこんと丸まっている小さな物体がひとつ。
全く身動きしなかったその物体は何かを感じたのか、耳をぴるぴるっと振ると不意に動き出した。
(う〜ん・・・・・・よく寝たぁ)
寝そべりながら大きく伸びをした子猫はそのまま空を見上げる。
照りつける太陽とは打って変わって、秋の気配を感じさせる高く澄み渡った青空と爽やかな風。
フサフサの毛をそっと撫でていく風の感触が心地よくて、子猫はまたまどろみそうになる。
(おっと、いけねぇ。そろそろ帰ってくるな)
閉じそうになる瞼を開けて身体を起こすとまた伸びをして、子猫は下を見ようとテラスの柵の方へと歩き出した。
小さな自分が落ちないよう、柵には透明のアクリル板が取り付けられているので風が強くても心配ない。
飼い主の優しさが伝わってきて、子猫は思わず目を細める。
高層マンションの最上階から見下ろす景色は最高である。
空気の澱んだこの都会でも上空はまだマシなようで、秋になって空気も澄んできたのか結構遠くまで見る事ができる。
下を歩く蟻のように小さな人間を見下ろしながら、子猫は飼い主の帰りをひたすら待つ。
(そろそろなんだけどなぁ)
猫とは不思議な動物で・・・・。
それとも自分が特別なだけなのか、飼い主が帰ってくる30分前にその気配を感じ取れるのだ。
どんなに熟睡してても。
どれだけ離れていても・・・・・・・。
本当なら今日は休みだったのだが、急遽仕事が入り、飼い主は自分に留守番を頼んで出て行った。
「昼には戻りますから。そうしたら約束通りに一緒に出かけましょう」
玄関で名残惜しそうに撫でてくれる大きな手。
いつもなら連れて行ってもらえるのだが、相手の会社に直行らしく、留守番と相成った。
ちょっと寂しいけど、仕事だから仕方ない。
「ミィ〜(気をつけてな、直江)」
子猫は気持ちを伝えるように、飼い主の手に頭を擦り付けながら答える。
それを見下ろす飼い主の眼はとても優しい眼差しで・・・。
「寂しいでしょうが少しだけ我慢しててくださいね、高耶さん」
では、行って来ます。と高耶の狭い額にそっと口接けると、飼い主は出て行った。
ドアの閉まる音は不安を駆り立てる。
嫌でも一人だと実感させられる。それが嫌いで昔は一人で家にいることなどなかった高耶だ。
でも、今は違う。
(今は・・・・・・アイツがいてくれるから平気だ)
彼なら必ずここに帰ってくる。それが判るから不安はない。
(俺が帰ってくるって判ってるって事は、必ずここまで無事に帰ってくるっていう証だもんな)
それでも事故などしないようにと祈りながら、高耶は飼い主・直江の車を待ち続ける。
(あ!帰ってきた)
見慣れたベンツが信号を曲がってこちらへと走ってくる。
それが無事に駐車場へと入って行くのを見届けると、高耶は急いで玄関へと向かう。
玄関先で置物のようにちょこんと鎮座して、ドアが開くのを待つ。
エレベーターが止まる音。
だんだん近づいてくる、いつもより早く近づく聞き慣れた足音。
鍵を開け、ドアが開かれる。
「フミィ〜(お帰り、直江!)」
「ただいま帰りました、高耶さん」
玄関先で待ち構えているのはいつもの事で・・・・・。
なのに、直江は俺を抱き上げると、靴を脱ぎながら何故かクスクスと笑った。
(何が可笑しいんだ?いつもと同じなのに・・・・・)
不思議そうに見上げると、直江は朝と同じように優しく撫でてくれた。
「またテラスで昼寝していたんでしょう。身体がとても温かい」
そっか。俺がテラスから見て待ってたってバレたんだ。
極まりが悪くて思わずそっぽを向いてしまったが、直江は気にする事なく俺の身体に顔をくっ付けた。
「とても暖かくて気持ちいい・・・・・。太陽の匂いがしますね」
「フミュ・・・?(えっ・・・?)」
そう来るとは思わなかったので、俺は思わず直江を見つめた。
「お腹空いたでしょう?すぐ出掛ける用意をしますから待っててくださいね」
「ミィ(わかった)」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら答えると、直江は俺を抱きかかえたまま早速着替えに向かう。
直江が着替えている間の俺の特等席は大きなベッドの上。
そこから着替える直江を見るのが俺の楽しみの一つだったりする。
会社の代表としての威厳を持つその姿から、本当のアイツに戻る瞬間。
禁欲的に見えるダークスーツを静かに脱ぎ
ネクタイを解いて
伏せ眼がちにシャツを脱ぎ捨てる。
何処で鍛えているのか、不思議なくらい逞しい均整の取れた身体を惜しげもなく曝す。
もちろん、直江にとって、今の俺はただの猫。
それでも今は誰にも見せなくなったその身体を、俺だけがこうして見ているという感覚は堪らない。
(・・・・・・・)
俺はベッドからそっと飛び降りると、直江の許へとポテポテと歩き出した。
「ナ〜ゴ ナ〜ゴ(直江〜 な〜おえ〜)」
「どうしました?高耶さん」
甘えた声で泣きながら足に擦り寄ると、直江はちょっとだけ驚いた顔で俺を見たが、すぐに微笑して抱き上げてくれた。
そりゃそうだろう。いつもは着替えが終わるまでベッドの上で大人しくしているんだから、驚いて当然だ。
「ミィ〜(直江ぇ・・・)」
腕の中から抜け出して、俺は直江の肩へとよじ登り始めた。
直江はまだ服を着ていない。
爪を立てる気は更々ないので、当然の事ながら登れるわけがない。
ジタバタともがく俺を見て、何がしたいのか判ったようで、直江は俺を肩の上に乗せた。
「これでいいですか?高耶さん」
「ゴロゴロ・・・・・(うん・・・・)」
肩に乗っかる俺を苦笑しながら見る眼はやっぱり優しくて・・・・・
俺は小さい前足を直江の首にひっかけて抱きつくようにしてやった。
「こら、高耶さん。くすぐったいですよ」
そう言いながらも直江は俺を下ろそうとはせず、落ちないように片手で俺を支えながら服を物色している。
(う〜ん・・・・・やっぱいい男だよなぁ)
至近距離から見る直江の顔は、いつもより一層カッコよくて。
俺はゴロゴロ言いながら鼻先を首筋に摺り寄せた。
微かに香る香水と煙草の匂い。
今の俺にとっては、これ以上ない精神安定剤だ。
この香りが
この男がいるだけで
それだけで不安が薄らいでいく。
今まで感じた事のないほどの安堵感に包まれる。
そんな事を考えているうちに、直江は着る服を選び終えたようで申し訳なさそうに俺をすぐ横の棚の上に下ろした。
「ミャ〜!(直江〜!)」
「着替える間だけですから・・・・・、ね」
「ミュ〜(うぅ〜)」
俺はいつだってお前と一緒にいたいんだ。
それがただの飼い主への甘えなのか、直江という一人の男に対してのそれ以上の感情なのか・・・・・。
今はまだ自分でも判らない。
(でも・・・・・・)
きっと後者だって気がする。
許されない事かも知れないけど、それくらい俺は直江に惹かれてる。
直江が俺にくれる愛情は飼い主としてのそれだけど・・・・・・
(俺が人間だったらこうは行かないよな)
それならこのままでもいいとさえ思う。
人間と知ってさよならされるより、このまま猫の姿で傍にいられる方がよっぽどいい。
だいたい、こんな夢のような話を現実主義の直江が信じる訳がないのだから。
別に贅沢がしたい訳じゃない。
そりゃ、貧乏よりはいいだろうがそんなの今は問題じゃない。
(直江と一緒にいると・・・・・・心が満たされるんだ)
ずっと一人で寂しくて
凍えそうなほど孤独だった心を直江は抱きとめて
優しく包んで守ってくれる。
神様は許してくれるだろうか?
俺が見つけた最愛の人を・・・・・・・・・
そして
人間に戻ってもこの関係を続けていけるのだろうか・・・・・・・
「どうしました?高耶さん」
「ミュ?(えっ?)」
ふと気付くと直江の顔が目の前にある。
俺がぼんやりと考え事をしている間に直江は着替えを済ませたようで、いつもとは違うラフな格好になっていた。
アースカラーで纏めた直江の姿はいつものような怜悧さは消えていて、優しさが強調されてように見える。
「どうしたんです?急に大人しくなって・・・・・」
「ミュ〜(・・・・何でもねぇ)」
ちょっと心配そうに俺を見つめていた直江はそっと俺を抱き上げてさっきのように肩に乗せ、小さめのバッグを持ってクローゼットを出た。
「フミュ?(直江、何だそれ)」
(何でちょっと出掛けるのにバッグが必要なんだ?)
不思議そうにバッグを見下ろす俺に直江は微笑する。
「一日休みのはずが半分消えてしまったんで明日1日休む事にしたんですよ。だから、今からちょっと足を伸ばして1泊しようかと・・・・・嫌ですか?」
「ミュッ?!(マジッ?!)」
嫌なはずねぇだろ!だって誰にも邪魔されずに一緒にいられるんだから。
あぁ、言葉が喋れたらどれだけいいか。
それくらい嬉しくて俺は直江の首筋に顔を擦り付けるようにした。
人間だったら言葉があるけど
きっと俺は素直に言えないだろう
でも・・・・・
この猫の姿なら
素直になれるから
「そこまで喜んでくれると嬉しいですよ。じゃ、行きましょうか」
「ミャオ〜(うん!行こう)」
ゴロゴロと煩いほどに喉を鳴らしてくっ付く俺を見て、直江は幸せそうに笑った。
仕事中では見れない、唯一、俺だけに見せる笑顔だ。
それだけで、俺は自分が直江にとって特別な存在だと優越感に浸れる。
直江はバッグに俺のおもちゃなども少し放り込むと、セキュリティーをセットしてドアを閉めた。
俺は直江の首から離れずにずっとそこで直江の顔を見つめる。
眼が合うと、直江は必ず微笑してくれる。そんな直江が俺は好きだ。
駐車場に着くと、直江はベンツではなく、もう1台のウィンダムに乗り込んだ。
俺の指定席は隣のナビシート。
でも、今日は特等席にしばらくいよう。
「ナ〜ゴ(いいだろ?)」
「・・・・・・・・・仕方ないですねぇ」
直江は苦笑すると両手で俺を捕まえ、顔の前に掲げる。
「ちょっとだけですからね。後はちゃんと座席にいるんですよ」
「ミィ〜(わかった)」
いつも俺の我侭を聞いてくれる、従順な飼い主。
感謝と愛情を込めて、俺は直江の唇をチロッと舐めてやった。
「今日は満月ですから夜はお月見でもしましょうね」
「ミュ〜(うん!)」
会話が済むと、直江はシャツのボタンを2つほど外して俺を中に入れた。
上着を着ていない時に入り込む、直江のシャツの中が俺の特等席。
俺は全身毛だらけだから、直江の肌に触れられるのは鼻先と足裏の肉球だけ。
肌が触れていると凄く安心で
身体の熱を直に感じられるから、俺は時々我侭を言って入り込むんだ。
俺が動くとさすがにくすぐったいのか直江の身体が少し動く。素早く位置を決めて大人しくなると、直江が車を発進させた。
今日は満月
お前のように静かな月明かりの下で
お前の声を
お前の吐息と共に耳元で聞いて
お前の鼓動をこの小さな身体全体で感じよう
それが 今宵の
Moon light serenade
今夜はお前に満たされながら
心地よい眠りに就こう。
背景(C)Salon de Ruby
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