Masquerade 3



 「お、仰木!遅かったじゃねぇか、もうハゲ頭が来るぜ」
 ニヤニヤしながら手招きして話しかけてくる悪友を高耶は一睨みして大きな溜息をついた。
「・・・あぁ、知ってる。そこの階段で見た」
 悪友の問いかけに言葉少なに答えた高耶は鞄を机に放り投げ、どっかと席につくと鞄を抱えるようにして机に突っ伏した。
 いつもなら噛み付くように言い返してくる筈の高耶が今日は大人しい。悪友は思わず高耶の顔を覗き込んでしまう。
「おいおい、一体どうしたんだよ」
「うるせぇ・・・、今日は朝から最悪だったんだよ!」
 顔を少しだけ上げてじろっと睨みつけて怒鳴る高耶に悪友は「お〜コワっ!」と笑いながら両手を挙げて見せた。
「で・・・?何が最悪だったんだよ」
「・・・・聞いてくれるか?千秋」
 ゆっくりと起き上がりながら向き直る高耶には怒りと焦燥感がない混ぜになっていて恐ろしい雰囲気だ。
千秋は思わず仰け反りながらもブンブンっと頷いてみせた。
「実はさ・・・・、?」
 重い口調で話し始めた所で里見教授が入ってきたので高耶は喋るのをやめた。
 ハンカチで汗を拭きながら、なにやらブツブツと文句を言いながら入ってくる教授に、高耶を始め学生皆が首を傾げた。
 時計を見ると講義開始時間を5分ほど過ぎている。
 急いで出席を確認しだした教授をぼんやりと眺めながら高耶はふと疑問に思った。
(・・・・・さっきそこまで来てたのに・・・・。何か忘れ物でもしたのか?)
 不思議に思いはしたが、すぐに講義が始まったので高耶はそれ以上考える事はしなかった。







(あ、あれは・・・・・・・)
 講義の最中に高耶がぼんやりと窓の外を眺めていると、校庭を歩く直江教授の姿が目に留まった。
どうやら本を読みながら歩いているようで、団体で騒ぎながら歩いてきた学生の一人とぶつかっている。
直江はヘコヘコと頭を下げて謝ると、また本を見ながら歩き出していった。
(・・・・・ったく、何考えてんだ?アイツ・・・・)
 直江教授は学内でも有名な教授である。
若くして教授の座に就いている事もだが、とにかくちょっと変っているのだ。
 まず、殆ど学生と話をしない。
 だから講義がある時以外で直江の姿を見るのは移動中か学食にいる時くらいだ。それでもいつも何か難しそうな本とにらめっこで誰かと
一緒にいる所などまずない。
 それに直江の研究室は学内の一番奥のこの館。その中でも一番端にある。
滅多に人が訪れない場所という事もあり、様々な噂が直江にはついて
回っている。
表向きは心理学の教授だが、裏では何やら怪しい薬を研究しているだの
夜中にこっそりと人体解剖しているだの・・・・。
 学生や他の教授の話しによると、直江はまだ30前後らしい。それくらいの
年齢ならファッションにも気を使うものなのに、直江は全くと言っていいほど
無頓着でセンスがない。
 いつもボサボサの頭に黒ぶちの牛乳瓶底眼鏡。ヨレヨレのYシャツとスラックス。
ネクタイも地味でそれを隠すかのように白衣を着ている。
直江は心理学の教授なので白衣など着なくてもいいのに・・・と皆が不思議に思う所だった。
 いつも考え事でもしているのか、それとも何も考えていないのか。
直江はいつもボ〜ッとしているので、学生からは木偶の棒とまで言われている。
ボーッとしているのはいいのだが、身長が高いので結構邪魔になるのだ。
木偶の棒とはよく言ったものである。
(ホントに変ったヤツだよなぁ・・・・)
 先程のやり取りを思い出しながら高耶は直江の姿をずっと眺めていた。
眺めると いうより観察と言った方が合っているかも知れない。
(・・・・・あれ?そういやぁ・・・)
 高耶はそこでふと疑問に思った。
あれだけいい加減な格好をしていたのに、直江の履いていた靴はとても手入れ
さ れていて綺麗だったのだ。
(買ったばっかなのかな?それとも・・・・・)
 今は離れた位置にいるので確認する事が出来ないが、妙に気になってきた。
 格好が格好だけに今まで誰も近くに寄らなかったのでそんな細かい所まで
気付く事がなかったのだろう。
 それに、先程すぐ近くに顔が迫った時に格好とは似付かない香水の香りがしたのだ。
殆ど気付かないだろうと思われるほどの仄かな香り。
脂ぎったオヤジがつけるような嫌味な香りではなく、甘く惹き付けられるような・・・・。
(香水なんか使うなら、普通はこう・・・もっといい格好するよなぁ・・・・)
 考えれば考える程、謎は深まっていく。
 高耶は講義そっちのけで難しい顔をして直江を観察した。
当の直江はそんな視線が自分に向いているとも知らずに校庭にある日当たりのよい
ベンチに座って本を読んでいる。
 この校庭は大学でも一番奥になるので、必要以上の人間はまず通らない。
とても静かで、高耶もよくここのベンチや芝生の上でごろ寝している事がある。
 今日は気持ちのいい青空が広がり、爽やかな風が吹いていて日向ぼっこには絶好の日だ。
(へぇ〜、アイツも日向ぼっこなんかするんだぁ・・・)
 いつも研究室に篭っていると思っていた直江が日向ぼっこをしている姿は、はっきり言って笑える。
高耶は思わず表情を崩した。
 丁度その時、爽やかな風が吹いた。
高耶は気持ちのよさに思わず空を見上げ目を細める。
校庭に視線を戻すと、直江も風を感じたのか眼鏡を外し、前髪をかき上げ
ながら俯いていた顔を上げ、空を見上げようとしていた。
(えっ・・・・・?)
 そう言えば誰も直江の眼鏡を外した顔を知らない。
チャンスだ!と思った高耶は目を凝らした ───。





カラーン・・・・・カラーン・・・・・





「っ?!」
「・・・・では、今日はここまで!」
 何とも間の悪い事に講義終了のチャイムと教授の声がかかった。
高耶は驚いて前を見て立ち上がると教授はさっさと片付けを始めている。
(・・あ、直江は?!)
 慌てて校庭を見ると、直江は元通り眼鏡をかけ、他の館へと移動を始めていた。
「くっそ〜!後もうちょいだったのにっ!!」
「・・・・あぁ?何がもうちょいなんだよ」
 高耶が思わず愚痴っていたのを隣にいた千秋は聞き逃さなかった。
「ん?・・・・何でもねぇ」
 高耶はそれだけ答えると鞄を持って部屋を出ようとした。しかし、足が止まる。
「どうした?仰木」
「・・・・・・・」
 様子がいつもと違う高耶の目線を追うと、そこにはまだ教壇の所にいる里見 教授の姿があった。
「あれ?アイツ、いつもなら時間になったらさっさと出て行くのに・・・・何やってんだ?」
 千秋も思わず物珍しさで教授を見てしまう。
教授は居心地悪そうに荷物を纏めると腰を押さえながら教室を出ようとした。
「あの・・・・、里見教授。どうかしたんですか?」
 気になった千秋が高耶よりも先に教授に問いかけた。
「ん?あぁ・・・、実はだな・・・・・」
 話によると、教授は階段を上がりきった所で本を大量に抱えた直江教授とぶ つかり、
階段を転げ落ちてしまったらしい。
講義があるのでさっさとその場を後にしたかったのだが、派手に散らばった本を
モタモタと集めている直江を放っておく訳にもいかず、強打した腰を擦りながら
一緒に本を集めたそうだ。
(え・・・・・、じゃ・・・・)
 教授の話を聞いて2重に驚いたのは高耶一人だけだった。







photo from 上       (C)LOVE×3
    中          m-style  
       下 (C)hare's -写真素材-